刃物の三大産地 / 大阪・堺

●特色

堺の包丁の全国シェアは7%程度ですが、本職用(プロ用)では90%以上を誇り、料理人の間では「包丁といえば堺」と知られています。
分業体制で作られるのが特色で、「火造り鍛造」「刃付け」「柄付け」のそれぞれの専門業者の間を巡って完成します。これにより、同業者間の切磋琢磨進み、優れた包丁が生み出されました。
堺のお家芸といわれる伝統の「わかし接け」は、1000度以上まで熱せられ、地金に、硼酸、硼砂、酸化鉄などを使って鋼を張り合わせていく技法です。

●歴史

堺に鍛造技術が伝わったのは、5世紀の古墳造営の時期とされています。仁徳天皇が、外国に出征していた兵士の失業対策として、灌漑利用も兼ねた御陵づくりを計画し、鋤や鍬などの鉄製道具を作る鍛冶屋を日本中から呼びあつめたと伝えられています。

15世紀(室町時代中期)には、刀工を祖とする包丁鍛治の集団が加賀の国(現在の石川県)から移住し、鍛治技術が発達しました。

生産拡大の契機となったのは16世紀(室町時代後期)で、当時の堺は、南蛮貿易の港として繁栄していました。天文12年(1543年)、ポルトガル人によって鉄砲とたばこが輸入されると、鉄砲の産地として名をはせるほか、たばこの葉を刻むための「煙草包丁」の製造が盛んになりました。

堺製の煙草包丁は評判がよく、江戸幕府は「堺極(さかいきわめ)」という刻印を入れて専売品とし、諸国大名に高く売って財源にしたそうです。

また江戸中期の元禄時代には、堺の鍛治職人が片刃の包丁(出刃)を開発し、現在使われている包丁のほぼ全種類も出揃いました。

明治時代になると、たばこの生産が機械化され、煙草包丁が不要となり、職人達は料理用の包丁を作りはじめて現在に至ります。

■参考文献・資料
『砥石と包丁』柴田書店
『堺打刃物を語る』堺HAMONOミュージアム
「堺刃物商工業協同組合連合会HP~堺刃物について」
「堺観光ガイド 世界が注目する「堺の刃物の魅力」