四方を海に囲まれた日本は、古来からお魚を「生もの」として食する習慣がありました。その中で、手際よく、美しく、「切る」という技術が磨かれていきました。

今回は、包丁の源流となる「切る」の始まりを見ていきます。

石の時代 ー石器の発明ー

人間の歯は、ライオンや猫などの肉食動物のように、動物の厚い皮を食いちぎるほどの鋭い牙(犬歯)がないので、本来は肉食に適していません。

奥から、「臼歯」(穀類食べる向き)、「犬歯」(小魚や肉類を食べる向き)、「門歯」(野菜や果物を食べる向き)の3種類でできている、雑食タイプです。

臼歯、犬歯、門歯の比率は5:1:2、
穀物5:魚・肉1:野菜・果物2の割合

そんな中、石器の発明が、人類の食の歴史を大きく変化させました。

今から約700万年前にヒトは猿と分岐し、二足歩行をすることで手が使えるようになりました。
50〜3万年前の中期旧石器時代には、黒曜石サヌカイト(讃岐石)などの鋭い剥片(はくへん)ができる石で、石匙(さじ)や鋭利な刃をもつナイフ状の打製石器が作られるようになりました。

「切る」の始まりです。

落とし穴や槍などで捕まえた動物の皮を剥いだり、削いだり、肉を切ったりしたことで、肉食が一般化し、防寒のために毛皮が利用されたりしました。

※日本では、氷河期には、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物を、温暖化してからは、イノシシやシカ、ノウサギなどを食用としました。
(大型動物は暑さに弱いので北の寒冷地に移動したり絶滅してしまいました)

植物や魚介類の採集も発達し、イヌが家畜化されていきます。
旧石器時代の人類は、ハーブなど植物に関する知識が豊富だったそうです。

石を磨くための「砥石」が登場

縄文時代(約1.4万年前〜紀元前4世紀)になると、打製石器に磨きを入れた磨製石器が作られるようになり、さまざまな形に加工され、より使い勝手が良くなりました。

磨製石器(まるよし刃物「弁慶」所蔵)

磨かれるということは、「砥石」も登場です。

日本は、造山活動によって、地底奥深くの、良質な砥石となる地層が隆起していることが多く、各地に砥石の産地がありました。

砥石には、石英(ガラスの成分)がたくさん含まれている「砂岩」という岩石がよく用いられました。
※砂岩はモース高度が7あり、鉄や銅を傷つけることができる硬さです。

古墳時代の砥石(国立歴史民俗博物館で撮影 2023年)

この良質な砥石が大量に採掘できたことが、日本で刀や和包丁、大工道具などといった高度な研ぎの技術をともなう刃物文化が発展したことにつながります

またこの時代、土器の発明によって、煮炊きもできるようになりました。
それまでは、焼いた石の上に、草や葉で包んだ肉を置いた蒸し焼きをしていたと考えられています。

石の時代から鉄の時代へ ー鉄製の包丁の登場ー

縄文晩期に、北九州にやってきた渡来人によって、水田稲作技術が伝来しました。
稲作と同時に金属器も伝来したと思われます。

縄文に続く弥生時代(紀元前3世紀〜西暦250年頃までの約600年間)の中期には稲作の生産性もあがったことにより、鉄器は急速に普及しました。(まだ製鉄技術がなく、大陸からの輸入や鉄の加工のみ)

そして、弥生末期になると、現在使われているような鉄製の包丁が現れます

磨製石器から鉄製工具への転換です。

このあと、製鉄や成型の技術もどんどんと発展し、現在の和包丁へ続く時代へと進みます。
同時に、日本料理の歴史もはじまっていきます。

13世紀の鉄製包丁(国立歴史民俗博物館で撮影 2023年)
※包丁の奥にあるのは、まな板です

以上、「切る」の始まりの時代のお話でした。


<参考文献>
『日本人は何を食べて生きてきたのか』永山久夫 2003 青春出版社
『日本料理の歴史』熊倉功夫 2007 吉川弘文館
『日本の食はどう変わってきたか』原田信男 2013 角川選書
『日本史年表 第5版』歴史学研究会編 2017年 岩波書店